宗教についていろいろ

東京の下町には、いろいろなお寺がある。ちょっと歩いただけでも浄土宗、浄土真宗日蓮宗真言宗天台宗系の聖観音宗(=浅草寺)等がある。西条を含む広島にもお寺はたくさんあるが、真宗王国の広島ではほとんどが浄土真宗本願寺派である。浄土真宗の信者らしい管理人(大谷派シンパを称しているが本願寺派にもかなりのシンパシーを持っているらしい)ではあるが、いろいろな宗派のお寺が身近にあるというのには、真宗一色の西条とは違った魅力があるというか、何か嬉しい気持ちがする。

さて、私は表面上はいろいろな宗教の共存を望んでいるらしいのだが、それでもやはり、例えばイスラム教に偏見を持っていないかと言われると、持たないようにしたいと思ってはいるが本当に持っていないかどうかには怪しいところがある。また、真宗大谷派シンパを称していることもあってか、「日蓮宗*1」とか「東本願寺派*2」とかいった単語を見ると、別に私自身が何かされたわけでもないのについ身構えてしまう。

8月19日頃、浅草周辺を歩いてみた。真宗大谷派のお寺もたくさん見かけた。真宗大谷派シンパを称している管理人だが、お坊さんは大谷派のほうが馴染が深くても(それ故に大谷派シンパを名乗っている)、お寺自体はむしろ本願寺派のほうに馴染が深く、実際に「真宗大谷派○○寺」という表札(?)をそれと意識して見たのはこれが初めてだった。微妙に感動である。また、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺の脇も通った。前述のとおり、私は自分が何かされたわけでもないのに「東本願寺派」という単語を見るとつい身構えてしまったりしていた。しかし、現地に行ってみて初めて、東本願寺派東本願寺の周囲には多くの大谷派のお寺があることを知った。当り前と言えば当り前のことではある。それがどういう思考回路でそうなったかは不明だが、そのことに何か心の安らぎを感じ、今では「東本願寺派」という単語を見ても以前ほどは身構えなくなった。

やはり実際に現地を見てみる、というのは、有効でない場合も多々あるではあろうが*3、宗教対立を解く上でかなり重要なことだろう。メッカはイスラム教徒以外は行けないらしいが、どこかのモスクにはいつか立ち寄ってみたい。

ところで、例の「摂理」なるカルト団体が我が広島大学でも既にかなり勢力を伸ばしているらしい。一体何故だ??? 普通のキリスト教団体が信者をなかなか獲得できず布教にさんざん苦労している日本において、どうして「摂理」のような怪しげなセクハラ集団が大きな支持(?)を集めてるのだ??? 理系人間としては、カルト宗教に人気の集まる一因としては、最近の理科離れがあるのではないかとか思ったりもするのだが、既存宗教が頑張っていないというのも恐らく一因としてはあるだろう。例えば広島大学は、浄土真宗本願寺派が圧倒的な勢力を誇る地域に存在していながら、浄土真宗本願寺派に触れる機会が(統一協会やら何やらに比べ)極めて少ない気がする。もっと頑張れ本願寺派

*1:本来は浄土宗とか浄土真宗とかの浄土教を特に敵視していたっぽい。

*2:浄土真宗東本願寺派真宗大谷派内の保守・反改革派が大谷派から分離してできた派で、大谷派を敵視している模様。本山は東京浅草の東本願寺

*3:実際私自身も無効だった例あり。