微妙に憂鬱

実物を読んだことがないので実際どうなのかは不明なのだが、例えば

http://d.hatena.ne.jp/Backlash/20060606/p1

の最後のほう、及びその他複数のサイトに掲載されている情報によると、千葉展正氏の「男と女の戦争―反フェミニズム入門」なる本には、

女性専用車両のドデッパラには、人間に見えるか見えないやうな薄いペイントで「男=ワル」と大書してある

といったことが書かれているらしい。


。。。痛い。。。正直痛すぎる。。。


私は個人的に旧かな遣い*1が好きだったりする*2。で、そういうのが好きな人には特定の傾向を持った人が多く、それはそれで好き嫌いはともかくとしても結構なことだとは思うが*3、ちょっとこれはひどすぎる。圧倒的少数派ということもあってただでさえ疑惑の目を向けられやすい旧かな遣い好き派が更に疑惑の目で見られてしまう。

いや、ひょっとしたら中にはそういう目で見られることに不快感を覚えない、あるいは快感を覚える人もおられるのかもしれないが、少なくとも私には完全なとばっちりである。

無論、日本には言論の自由がある。これは、たとえ身近な場面では不快に思うことが少なからずあったとしても、それそのものとしては極めて重要なものであり、日本でこれを守っていくべきであるのはもちろん、例えば某国のような言論の自由の無い国に対しても積極的に導入を促すべきものである。しかし、例えば旧仮名遣いで書かれた文章というものを考えた際、最近書かれたものについては、上記のような内容のものの比率がかなり高いのではないか、という危惧を覚える。

こういう状況を打破するためには、私が旧かな遣いの文章をどんどん書くべきだという意見もあるかもしれない。しかし、私にはその能力、時間、その他もろもろが存在していない。そもそも千葉展正氏よりマトモな内容の文章を書けるかどうかも謎である。私にできることは、ただまともな内容の文章の割合が高まることを願うのみである。

*1:いわゆる「歴史的仮名遣い」。「旧かな遣い」という名称はけしからんという意見も一部であるようだが、個人的には日本語の現行正書法(新かな遣い)の前の正書法なので「旧」で問題無いと思う。そもそも言語は時代と共に変わるものであり、特に表音文字を使っている言語は定期的に(数百年〜千数百年おきくらいに)抜本的な正書法改革が必要になるものなのだ。

*2:なお、この日記を新仮名遣いで書いているのは、主に自分の能力及びIMEの問題による

*3:ついでに私は、その特定の傾向とは大きくずれた傾向性を持っている、と自分では思っている。