冥王星と「科学の不確かさ」について

最近冥王星の話ばかり書いている気がするが、今日もその関連の話題を。

今回冥王星が惑星でなくなったことが、「科学は不確か」という主張の証明のように扱われている気がする。しかし、「科学は不確か」というのは一面において真実であるが、今回のこの件は科学の不確かさとは全く無関係だと思われる。

今回国際天文学連合は「科学的」な「惑星の定義」を定めたわけだが、「惑星」という概念そのものは科学的ではない。今回、「惑星とは何か?」という概念は以下のように変わった。

従来の概念
国際天文学連合が惑星と認めた天体」
新たな概念
国際天文学連合が定めた惑星の定義に合致すると国際天文学連合が認めた天体」

つまり「惑星」という概念は人間が勝手に作ったものに他ならない。今回「冥王星は惑星である」ということが否定されたのは、例えば相対性理論の登場で旧来のニュートン力学が否定されたのとは全く別次元のことである。


例えばニュートン力学は、100%正しいということが否定されたとはいえ、相対論的力学の近似理論としては永遠の価値を持つ。物理の教科書からももちろんニュートン力学は消えていないし、「ニュートン力学は過去のもの」と書いてある教科書も恐らくほとんどないだろう*1ニュートン力学が相対論的力学の近似であることは相対性理論を学ぶ時に知れば良いのであり、それ以前にそのことを知っていても単なる雑学以上のものにはならない。実用上も、ニュートン力学だけで生きている科学技術屋は多いだろうし、今後も科学技術屋の中で永久に多数派として存在し続けるだろう。

一方、「冥王星は惑星である」ということは、科学史の中では永久に記憶されるかもしれないが、教科書の「惑星」の欄からは速やかに外されるだろう。教科書から冥王星が消える可能性も高い*2。当面は「冥王星はかつて惑星とされていた」という注記はつくかもしれないが、いずれわざわざ断らずに冥王星を惑星以外に分類するようになるだろう。冥王星を惑星として残す人は今後もいるかもしれないが、恐らく少数派に留まり、時が経つにつれどんどん先細りしていくだろう。

重要なのは、ニュートン力学相対性理論は科学者(または自然哲学者)の「発見した」ものであるのに対し、「冥王星は惑星である」とか「冥王星は惑星ではない」とかいったことは、科学者の「決めた」ことだということである。


科学者の「発見」は、例えその後その発見が厳密には正しくなかったことが明らかになっても、捏造でない限りは、一定の近似理論または特殊な状況下での理論として有効な「科学」である。一方、科学者の「決めたこと」は、その決定の基準がいかに「科学的」であっても、「決める」ということ自体は決して「発見」と同じ意味での「科学」ではない。決定の基準は新たな科学的発見と歩調を合わせて変わりうるが、決定の基準自体が科学的発見になることは決してない。

「決める」ということは、科学にとって極めて重要なことである。「決める」ということは科学の発展と密接に関連しており、科学の発展を示す重要な指標である。しかし、「決める」ということはあくまで科学的真理にどのくらい近づけたか*3、すなわち「現時点で分かってる科学的事実」の「指標」であり、「現時点で分かってる科学的事実そのもの」では決してない。いろいろなブログやニュースを見た印象としては、非科学系な人はこのことにもっと注意すべきなように思う。


なお、前回の日記でトランス・ネプチュニアン天体の訳語として「超海王星天体」という名称を提案したが、試しに「google:超海王星天体」でググってみたところ、この訳語は私が考える以前に既にどなたかが考えておられ、それなりに使われていたようである。

*1:ひょっとしたらあるかもしれないが、その場合は「しかし現在でも極めて有効な理論」と続くはずである。それが書いてなかったら、それはもはや科学の教科書ではなく、非科学系人間が非科学系人間向けに書いた、かえって無知蒙昧を広げるような類の、極めて不適切な通俗啓蒙本であろう。

*2:自分的にはエッジワース・カイパーベルト天体オールトの雲と共に掲載すべきだと思うのだが、「内容が高度すぎる」とか「覚えるのが大変」とか言われて消される可能性のほうが高い気がする。これからの宇宙時代、せめて太陽系内くらいもっと詳しく、と思うのだが。。。

*3:過去に比べてどのくらい進歩したか、ということであり、科学的真理への距離がどの程度縮まったか、ということでは決してないので注意。