レバノン

レバノンが今回イスラエルの侵攻を受けはじめてから、既にかなり日が経っている。何とも言えない微妙な気分だ。

エドワード・サイードの「オリエンタリズム」によると、ヨーロッパ人にとってのレバノンは、ChateaubriandやNervalのオリエントであり、戦乱でレバノンが破壊されるのは「ロマンスの地が破壊されている」のであり、同時にオリエントは自分達にとっては「他人」であり、そこで実際に戦火にさらされている人々のことはあまり考えられていないらしい(確かそういう内容だった。違ってたらゴメン)。

日本をはじめとした東アジアやアメリカはもうちょっと現実的な視点でオリエントを見ているらしいが、私はよりその地の人にとってどうかという視点から見ている。。。つもりであった。

NHKテレビ「アラビア語会話」視聴者にとっては、レバノンはラナさんの故郷であり、スキットの主要なロケ地のひとつである。何気ないレバノンの風景、それが今戦禍にさらされている。

昔の私ならいてもたってもいられない気分になっていたはずである。しかし今はそうではない。このように意味不明な日記を書きつつ、レバノンより自分の心配をしている。

しかし、今はこうでも、将来にわたってこうではありたくない。今は黙って見ているだけという段階にもなってない。だけど、いつか、もはや血が流れないように、流された血が新たな血を求めずに報われるように、そう、そうしなければならない。