科学者のニセ科学は一般人の科学

※この記事の中で「水の善悪に対する感覚」とあるのは、「水からの伝言」のことです。この記事書いた後ざっと調べてみたけど、「マイナスイオン」にせよ「水からの伝言」にせよ、何の疑いもなく信じてる人の割合が非常に高くてびっくり……っていうか、マジで危機感持ってます。
今年の春に行われた日本物理学会の概要集を今さらながらパラパラとめくってみると、最後のほうに「ニセ科学」に関連していろいろと恐いことが書いてあった。「ニセ科学」とは、具体例を挙げると

といった類のものである。科学者、或いは科学関連な人が「マイナスイオンは体に良い」とか「水は善悪を感じとることができる」とかいった話を聞くと、恐らくは

  • 大半の人は「んなわけねーだろ」と相手にしない。
  • 一部の人は「恐らく間違ってると思うけどひょっとしたら。。。」と思う。

といった感じだろう。そして、これは私の憶測ではあるが(上のも私の憶測だが)、かなり重要なこととして、多くの科学者・科学関連者は、
「科学に携わっていない一般の人も私と同じことを思っているはずだ。」
と思っているだろう。しかし、日本物理学会の概要集によると、社会の実態はそうではなく、一般人は「マイナスイオンは体に良い」「水は善悪を感じとることができる」といったことについて、

  • かなり多くの人が「科学的に正しい」と思っている。
  • 「なんとなく怪しい」と思っている人がそこそこいる。
  • ハナから否定する人はほとんどいない。

といった感じらしい。「科学的に正しい」と思っている人は、恐らくは「科学者もマイナスイオンの効用や水の善悪に対する感覚を証明している」と思っているであろう。「なんとなく怪しい」と思っている人が具体的に「世間一般にはもてはやされてるけど実際のトコ科学的に見てどうよ?」と思っているのか「科学者は正しいと主張してるらしいけど実際どうよ?」と思っているのかは知らないが、いずれにせよかなり多くの人が
「科学者もマイナスイオンの効用や水の善悪に対する感覚を認めている」
と思っているものと思われる。
さて、個人がマイナスイオンとか水の善悪に対する感覚だとかいった「ニセ科学」「擬似科学」を信じることの可否については、「それは個人の思想・信条・信仰の問題だ」と言う人もいるかもしれない。しかし、「ニセ科学信仰」が行政や教育にまで及ぶとなると、問題にせざるを得まい、というか早急に対策を練らないと非常にまずい。
このようなことを言うと、科学関連人からは
「行政や教育者がそんなニセ科学信じてるわけないじゃん。考えすぎだよ。」
といった反応が返ってくるかもしれない。しかし、日本物理学会の概要集によると、行政や教育界においても「マイナスイオン」や「水の善悪に対する感覚」は広く信じられており、実際の政策・教育にもかなりの影響を及ぼしつつあるらしい。そして、マイナスイオン」や「水の善悪に対する感覚」に疑いを持っている人は少ないらしい。つまり、もしあなたが「現実問題として行政や教育者はそういうニセ科学に基づいたことはやっていない」と思うのであれば、それは

  • 単純にまだその地域の行政・教育界に浸透していないだけ
  • 政策・教育に活かそうという発想が無いだけ
  • あなたが気づいていないだけ

のいずれか、或いはこれらに類似したものである可能性が高いものと思われ、それらのニセ科学に疑問がもたれているからはないものと思われる
……さて、ここまで書いたはいいが、最後どうまとめよう(汗) ともかくも、科学関連の人間というものは、非科学的なモノを軽視しがちである。「ニセ科学」を「単なる迷信」と同一視している場合も多いだろう。しかし、一般人にとっても「単なる迷信」は「たかが迷信、されど迷信」であり、「されど」とは思うものの「たかが」でもあるものだが、(科学者が言うところの)「ニセ科学」は、一般人(教師、政治家、官僚を含む)にとっては「疑いようのない科学的真理」である場合が少なくなく、両者は「怪しいこと」「科学的真理」としてかなり厳密に区別されているものと思われる。科学関連人には、一般市民向けの科学的啓蒙活動をするだけでなく、教師・政治家・官僚といった種類の人々がニセ科学の道に陥らないように積極的に忠告・啓発する責務があるのではないだろうか。