何故かあまり指摘されない東電福島第一原発とチェルノブイリの決定的違い

今回の東電福島第一原発事故と、1986年のチェルノブイリ原発事故については、両者の相違点や共通点についていろいろ議論がある。同じレベル7だとか、軽水炉黒鉛炉の違いだとか、内陸と海岸の違いだとか、放射線量の多寡だとか等々。

しかし、人命への脅威を考慮に入れた場合、両者の最大の相違点は「周辺住民の避難のありかた」であろう。このことは、周辺住民への人的影響の面で極めて重大な意味を持つのであるが、何故かこの点についてはあまり指摘されていないように思う。

まず、放射性物質(に限らず物質一般)は、ある場所から放出されると時間と共に拡散していく。つまり、時間と共に物質は広範な地域に広がる一方で、発生源周辺地域の物質の濃度は下がっていく。次に、放射性物質は時間と共にどんどん減っていき(減少する際に放射線を発生する)、半減期の短いものは短期間のうちに大幅に減少する。

以上のことから分かるのは、原発周辺の放射性物質の量は事故直後が最も多く、周辺住民への影響を防ぐには事故発生後一刻も早い避難・屋内退避が重要である。

ここで、チェルノブイリ原発事故と今回の東電原発事故における初期の避難のありかたを、時系列で見てみる。


チェルノブイリ原発事故)

  • 1986年4月25日、チェルノブイリ原発4号炉で何らかの異常を確認(公表されず)。
  • 4月26日1時23分、4号炉で動作試験開始。約40秒後に爆発(公表されず)。
  • 4月27日、スウェーデンのフォルスマルク原発が大気中の放射性物質の異常を観測(正確な原因は分からず)。
  • 4月27日13時頃?、周辺住民の避難始まる(爆発から36時間、これまで避難・退避に関する指示は出されず)。
  • 4月28日、ソ連政府、事故発生を公表(爆発から2日強?)。

(東電原発事故)

  • 2011年3月11日14時46分、地震により東電福島第一原発1〜3号機が自動停止(4〜6号機は停止中)。その後津波が襲来し冷却設備等が破損、冷却機能を失う。
  • 3月11日19時03分、東電、「原子力緊急事態宣言」を発表(爆発の約20時間前)。
  • 3月11日20時50分、半径2km以内の住民に避難指示(爆発の約19時間前)。
  • 3月11日21時23分、半径3km以内に避難指示、10km以内に屋内退避指示(爆発の約18時間前)。
  • 3月12日5時44分、10km圏内の住民に避難指示(爆発の約10時間前)。
  • 3月12日15時36分頃、1号機爆発。ほぼリアルタイムで全世界に伝わる。
  • 3月12日18時25分、半径20km圏内の住民に避難指示(爆発の約3時間後)。
  • 3月14日11時01分、3号機爆発。ほぼリアルタイムで全世界に伝わる。


チェルノブイリ原発事故の当日、事故の発生が公表されていなかったため、周辺住民は全く普段どおりの一日を送ったとされる。多くの住民が、この間に健康に影響を及ぼす大量の放射線を浴びることとなった。事故発生の翌日、爆発から36時間を経てようやく周辺住民の避難が始まった。政府が事故が起こったことを発表したのは爆発の2日後であった。

一方の東電原発事故は、周辺住民の避難は原発から半径10km以内については爆発の18時間前までに避難指示が出され、半径20km以内についても爆発の3時間後には避難指示が出された。原発の状況は爆発の前日から全世界の注目するところとなり、爆発はほぼリアルタイムに世界中に伝わった。周辺住民のうち88人に対して除染が行われたが、健康に影響を及ぼすほどの大量の放射線を浴びた住民は今のところ0人とされている。


要するに、チェルノブイリ原発事故の際は避難開始は爆発から相当経ってからのことだったが、東電原発事故の際は避難開始は爆発より相当前に始まっていたのである。この違いは、周辺住民への健康被害の規模に決定的な違い与える。


今回の東電原発事故に対して、現政府の対応が適切なものかどうかは、今のところ分からない。適切だったかどうかが分かるまでにはまだまだ多くの時間と検証が必要であろう。しかし、事故の性質と社会のありかたからして、少なくとも周辺住民への健康被害という面では、今回の東電原発は現時点ではチェルノブイリよりはるかにマシである。チェルノブイリにおける周辺住民の避難のありかたは、今回の東電原発に比べてあまりに悲惨過ぎた。

(参考:Wikipediaの「福島第一原子力発電所事故」、「チェルノブイリ原子力発電所事故」)